2010年01月12日

西武などで通算251勝を挙げた東尾修野球殿堂入り、その他江藤慎一、故・古田昌幸氏の3氏


日本体育博物館(東京都文京区)は12日、今年の野球殿堂入りを発表し、西武などで通算251勝を挙げた東尾修氏(59)、セ・パ両リーグ首位打者を獲得した故・江藤慎一氏、社会人熊谷組で選手、監督として活躍した故・古田昌幸氏の3氏が選出された。野球殿堂入りは、171人になった。



 昨年、当選必要数に1票足りず落選した中日落合博満監督は、今年も1票差で選出されなかった。

野球体育博物館(東京都文京区)は12日、今年の野球殿堂入りを発表し、西武などで通算251勝を挙げた東尾修氏(59)、セ・パ両リーグ首位打者を獲得した後、社会人野球などで指導した故・江藤慎一氏、社会人熊谷組で選手、監督として活躍した故・古田昌幸氏の3氏が選出された。野球殿堂入りは、171人になった。



 競技者表彰プレーヤー部門で選ばれた東尾氏は、切れ味のあるシュートスライダーを武器に活躍。内角を大胆に突く強気の投球で「けんか投法」の異名もとり、通算与死球165は歴代最多。83、87年にはMVPに輝いた。



 江藤氏エキスパート部門で、昨年の青田昇氏(故人)に次いで2人目の受賞者となった。ロッテなどで強打者として活躍後、アマチュアの指導に貢献。社会人のヤオハンジャパンを実質的に指揮し、都市対抗野球にも出場した。



 古田氏は特別表彰で選ばれた。立大から社会人野球へ進み、熊谷組の二塁手として活躍。監督としても手腕を発揮し、「ミスター都市対抗」とうたわれた。日本野球連盟理事も務めた。



 競技者表彰のプレーヤー部門投票では、中日落合博満監督が2年連続で当選必要数に1票足りず、落選した。



     ◇



 〈ひがしお・おさむ〉 1950年、和歌山県出身。箕島高からドラフト1位で西鉄(現西武)に入団。右打者の内角を厳しく突くシュートとスライダーを武器に、75年に最多勝、83年は最多勝と最優秀防御率の2冠を獲得した。西武黄金期前半のエースとして活躍し、83、87年には最優秀選手に2度輝いた。88年限りで現役を引退するまで、通算251勝247敗23セーブ。与死球は歴代最多の165個。95年から7年間は西武の監督も務め、97、98年にリーグ優勝へ導いた。現在野解説者。プロゴルファー東尾理子長女



 〈えとう・しんいち〉 37年、熊本県山鹿市出身。熊本商高から社会人を経て1959年に中日に入団。64、65年と2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得した。69年に一度引退したが、70年にロッテで現役復帰。71年にはプロ野球史上ただ一人となる両リーグでの首位打者に輝いた。75年には太平洋(現西武)で兼任監督も務めた。76年にロッテに戻ってプレーし、現役引退。通算2057安打を記録した。青少年向けの日本野球体育学校の校長を務めたほか、社会人野球ではヤオハンジャパンを実質的に率いて97年に都市対抗野球に出場した。慶大監督の江藤省三氏は実弟。2008年死去。



 〈ふるた・まさゆき〉 1933年、熊本市出身。九州学院高から立大に進み、1年から二塁手のレギュラーに定着。プロの勧誘を断って56年に社会人の熊谷組に入社し、いきなり都市対抗野球で首位打者を獲得。都市対抗には監督兼任を含めて連続13回、通算16回出場し、3度の優勝を達成した。国際大会にも数多く出場し、57年の第3回世界アマチュア野球大会では攻守に活躍して日本の優勝に貢献。現役引退後は日本野球連盟理事、同常任理事などを歴任した。99年、65歳で死去。



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 〈野球殿堂〉 日本の野球界の発展に大きく貢献した人物の功績をたたえるため、1959年に創設された。選出されるには競技者表彰の2部門、特別表彰とも、有効投票数の75%以上が必要。



 競技者表彰の選出は2008年から2部門に分かれた。プレーヤー部門は現役引退後5年を経過してから15年間が有資格。15年以上の取材経験を持つ野球担当記者の投票で決まる。今回は全投票数304票のうち228票が当選必要数で、東尾氏は254票。エキスパート部門は監督、コーチ、審判を対象とし、引退後6カ月を経過している人などが対象。野球殿堂入りしている人らが投票し、今回の有効投票数は42(当選必要数は32)で、江藤氏は37票獲得した。
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★東尾 修(ひがしお おさむ、1950年5月18日 - )は、元プロ野球選手投手)・監督、野球解説者。愛称は「トンビ」(東尾の音読み)。血液型はO型長女プロゴルファー東尾理子



1970年代から80年代のパ・リーグを代表する投手。同年代の山田久志村田兆治鈴木啓示らと鎬を削り、ファンを沸かせた。引退後は1995年から2001年まで西武ライオンズの監督を務め、7年間でリーグを2度制し、すべてAクラスを死守した。



経歴

プロ入りまで

和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)出身。吉備中学校を経て、和歌山県立箕島高等学校卒業。東尾はもともと平安高校へ入学を希望していたが、その評判を聞いた箕島高校野球部監督の尾藤公が直々に口説き落とし、1968年には甲子園初出場校のエースとして全国ベスト4の成績を残した。後に尾藤は甲子園で春3回、夏1回の優勝という実績を残したが、「この年(1968年)のチームが最強であり、優勝できなかったのは自分自身の経験不足のため」と語っている。



1968年のドラフト会議で、西鉄ライオンズから1位指名を受ける。くじ引きにより西鉄の指名順位が12番目に決まったため、この1位指名は1巡目最後の12番目の指名だった。



ドラフト前には他の球団から何らかの接触があり、中には1位指名を仄めかした球団もあったというが、西鉄からの指名は事前に何の接触も無い唐突なものだった。そのため東尾の両親は「在京・在阪のチームならばとにかく、(一度も訪れたことのない)九州のチームに息子を入れるわけにはいかない」として西鉄への入団に猛反対し、指名を拒否して大学へ進学することを勧めた。東尾自身も西鉄の一方的な指名に腹を立て、一時は法政大学への進学を決めかけていた。しかし、「西鉄もプロのチーム。そのプロが1位指名してくれた」と思い直し、両親を説得して西鉄に入団した。東尾は後に、「1位指名だったからこそ入団した。西鉄は1位指名によって僕のプライドを守ってくれた。1位指名でなければ西鉄に入団しなかった」と語っている。



現役時代(1969-1988)

プロ入り後は、リーグの並み居る投手陣のレベルの高さに自信をなくし、一度は首脳陣に野手転向を申し出たこともあるという。ところが、1969年に「黒い霧事件」が発生、エースの池永正明ら主力投手が軒並み永久追放されて投手不足となり、一軍の投手としてフル回転せざるを得なくなる。投手コーチだった河村英文に才能を見込まれ、加藤初と共に連日350球から400球という投げ込みを課せられた。



東尾はロッテ木樽正明成田文男らの投球フォームを参考に、切れ味鋭いスライダーシュートを軸にした横の揺さぶりと、打者の内角を突く強気のピッチングスタイルを確立。死球を与えても全く動じない太々しい性格から『ケンカ投法』の異名も取った。なお東尾を指導した河村も、現役時代には内角攻めを得意としていた。そのため与死球数が多く、通算165個という日本記録を持っている。東尾は「僕がプロで生き残るためには、得意な球種を考えるとああいう投球パターンでなければいけなかった」と語っている。



黒い霧事件で戦力が激減した西鉄は、ついに身売りして太平洋クラブライオンズクラウンライターライオンズとチーム名を変更するなど、常に不安定な経済状況に晒された。東尾はその低迷時代をエースとして支えた。1975年には23勝8敗で最多勝。1977年シーズンオフには読売ジャイアンツから獲得の要請があり、球団が「東尾の放出は球団の死を意味し、それは我々が経営の当事者である限りありえない」との声明を発表した。



クラウンライターは1978年限りで堤義明コクドに売却され、1979年から西武ライオンズとなる。監督の根本陸夫フロントの要職も兼任し選手のトレードを大量に手がけ、西鉄ライオンズ時代からの西武での生き残りは東尾と大田卓司の2人だけになった。



1982年より広岡達朗が監督に就任。広岡はチームプレーを重視した守りの野球を展開する。同年5月の試合で1塁への東尾のカバーリングが遅れたと感じた広岡はローテーションから外す姿勢を打ち出した。特に1983年には、広岡が東尾の投球に関して試合後に「八百長をやっているのではないか」とコメントしたことがスポーツ紙に報じられたことから東尾が激怒したということもあった。



チームは広岡が就任後の1982年、83年とリーグ優勝、日本一を達成。1985年にも再びリーグ優勝する。東尾はこれら3度の日本シリーズではすべてリリーフに回り、1982年には日本シリーズMVPに輝く。1983年にはリーグMVPと最優秀防御率を獲得している。



1986年には、死球を受けて激昂したリチャード・デービス近鉄)から試合中に暴行を受け顔面を負傷したが、そのまま続投し勝利投手になっている。このデービスとの一件の後、西武以外のパ・リーグ5球団から東尾の内角攻めや死球の多さに対する批判が集中。「暴力は許せないがデービスには同情する」という声が大勢を占め、中には「喧嘩両成敗で東尾にも何らかの処分を下すべき」「あまり内角攻めがしつこい場合はボークにしろ」などという過激な意見も見られた。阪急ブレーブス上田利治監督は東尾のデッドボールについて「あれだけコントロールのいいピッチャーなのに、狙って投げているとしか思えない」と語っていたが、これについて東尾は「内角を突いていくのはピッチャーの権利。いちいち謝っていられるか」と返している。しかし近年、テレビ番組島田紳助に「東尾さんは、狙って投げた球(デッドボール)は何球ぐらい有りますか?」と質問されたときには、「1球もない」と返答した。
1986年の日本シリーズ対広島戦は、史上一度しかない8戦目までもつれた激闘であった。東尾は第1戦に先発し、9回裏1死まで0点に押さえながら、小早川毅彦山本浩二に連続ホームランを浴び同点とされ、第1戦は引き分ける。この後西武は3連敗し広島に王手をかけられる。東尾は続く5戦目でも9回を投げ、自責点0のまま降板。後を受けた工藤がサヨナラヒットを打って、西武はやっと1勝目をあげる。東尾に勝ち星は付かなかったものの、この1勝が西武の日本シリーズ大逆転劇へとつながる。最終8戦目も先発登板するが、ピッチャー金石に2ラン本塁打を打たれ3回で降板。試合後「もう握力がなくなっていた」と語っている。西武はこの後逆転し優勝を飾るが、当時37歳の東尾はこのシリーズで0勝ながら3試合、21イニングを投げている。この3試合は1分け2勝で、東尾が先発した5戦目で西武が1勝目を挙げ、8戦目で西武の優勝が決まったことを考えると、1986年の日本シリーズの運命を左右する存在であったと言える。



1987年オフに暴力団絡みの麻雀賭博容疑で書類送検された。半年間の出場停止と制裁金1000万円の処分を受ける。記者会見で「メンツにヤクザがいると知っていたら加わらなかった、軽率だった」と謝罪。またこの前年、落合博満と共に日本プロ野球史上初の年俸1億円プレーヤーとなり、87年シーズンの成績から翌年度は年俸の更なる増額が予想されていたが(事件発覚前には1億1000万円の提示を保留)、事件発覚により25%減俸、最終的には年俸7500万円で契約している。



1988年限りで現役を引退。引退後は、テレビ朝日文化放送日刊スポーツ野球解説者を歴任した。



現在、シーズン300イニング登板・20敗戦を記録した最後の投手である。これはチーム事情により、実力の不足している若手だった頃にも主戦投手としてシーズンを通して登板せざるを得なかったためである。この時代のチームの低迷が響き、長谷川良平梶本隆夫に次いで史上3人目となる200勝より先に200敗を記録。また200勝を達成した1984年のシーズン終了時点で通算201勝215敗と大きく負け越していた。しかし、翌1985年、17勝3敗という好成績で14の負け越しを一気に帳消し、その後の3シーズンで33勝29敗と勝ちが先行した結果、引退時には251勝247敗と無事勝ち越しを記録することとなった。なお現在のところ、200勝投手で通算成績が負け越しているのは梶本隆夫のみである。



西武ライオンズ監督(1995-2001)

1995年に西武の監督に就任。ドラフト西口文也高木浩之小関竜也などを獲得し、黄金期の主軸を担ったオレステス・デストラーデを復帰させ、現役大リーガーダリン・ジャクソンも入団させるも、オリックスに5勝21敗と大きく負け越し、1年目の成績は3位に終わった(オリックス戦以外の成績は62勝36敗6分だった)。翌1996年には広島から河田雄祐中日から清水雅治前原博之トレードで獲得し、ドラフトでも高木大成大友進原井和也を獲得して戦力を整え、2年ぶりの優勝を目指したが、8月終了時点で借金12(47勝59敗4分=最下位)を経験するなど勝率は5割を割り、この年も3位に終わった。余談だが、西武は平成時代になってから借金13を一度も経験していない(他球団は借金13を経験している)。



1997年、読売ジャイアンツにFA移籍した清原和博の後釜としてドミンゴ・マルティネスを、ドラフトでも谷中真二和田一浩玉野宏昌などを獲得。この年、清原の後の4番に据わった鈴木健が奮起、このほか松井稼頭央を始めとする新鋭、また黄金期を支えた新谷博潮崎哲也杉山賢人佐々木誠ベテラン、中日から移籍した金村義明などの活躍で、3年ぶりにリーグ制覇をなしとげた。翌1998年は日本ハムからトレードで西崎幸広を、またオリックスからFAで中嶋聡を獲得するなど戦力を補強、森慎二デニー友利竹下潤橋本武広などの活躍でリーグ2連覇を果たすが、日本シリーズでは横浜に2勝4敗で敗退、この年も日本一となれなかった。1999年、黄金ルーキー松坂大輔の活躍で福岡ダイエーホークスと優勝争いを繰り広げるも2位に甘んじ、リーグ3連覇は成らなかった。翌2000年もダイエーと優勝争いに敗れて2位に終わり、2001年も近鉄バファローズ・ダイエーとの優勝争いに敗れ、この年限りで監督を勇退した。



東尾が監督に就任した当時の西武は、黄金期の主力選手が移籍したり衰えが顕著になるなどして、戦力の低下が著しかったが、東尾は投手陣に関しては松坂大輔・西口文也・石井貴豊田清の「先発4本柱」や、中継ぎ・抑えの森慎二などを育成し世代交代に成功。また、西武黄金時代にはリリーフだった潮崎哲也を先発に転向させたり、日本ハムファイターズから半ば戦力外の形で移籍してきた西崎幸広を抑えとして再生するなど、ベテランの起用にも手腕を発揮した。戦力になった左投手が主にワンポイントの橋本武広、土肥義弘ぐらいしかいなかったのが弱点であったが、右投手が強力だったためあまり問題にはならなかった。



野手や打撃面に関する采配については必ずしも的確だったとは言えないが、黄金期が終焉を迎え戦力面に関しては過渡期であった中で、世代交代を果たしつつAクラスを常に維持した。また、これらの奇策には、前述のように黄金期の主力野手(石毛宏典や清原和博など)が次々に退団し、俊足巧打で守備力もあるが長打力に欠ける若手選手が多く残されたというチーム事情の中で真剣に勝つことを模索した結果生み出されたものも多い。
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2009年12月13日

「タイガーとのセックスはワイルド」、英モデルが暴露、不倫騒動のさなか、タイガー・ウッズ活動休止宣言をした


不倫騒動のさなか、活動休止宣言をしたプロゴルフタイガー・ウッズTiger Woods)の愛人のひとりとされる英国のモデルが、ウッズとの「ワイルドセックス」の詳細を英大衆紙サン(The Sun)に語った。



 10日の同紙によると、ジェイミー・ジャンガース(Jamie Jungers)さん(26)は10回以上、ウッズの自宅も訪れたという。「彼とのセックスは本当に最高、すごかったわ。会えば会うほど良くなったし、もっとセックスするようになった。ベッドのなかの彼は最高だった」とジャンガースさんはインタビューで述べた。



 初めて関係をもったのは2005年6月。米ラスベガス(Las Vegas)のベラージオ・ホテル(Bellagio Hotel)でウッズのほうから自己紹介して近づいてきた。「それから部屋に一緒に戻って、始めたのよ」

 

 このときウッズはスウェーデン人モデル、エリン・ノルデグレン(Elin Nordegren)さんと結婚して8か月しかたっていなかった。「クレイジーなセックスを2時間も続けた。彼がわたしを持ち上げて壁に押し付けた瞬間、ものすごくワイルドになったの。本当にすごかった」



 終わってから、ジャンガースさんは「あなたの結婚がどんな状況なのかは知らないけれど、新婚なのは知ってるわ。つまり、結婚はうまくいっているの?」とたずねると、ウッズは「問題ないよ。彼女はスウェーデンで実家の家族といるんだ」と答えたという。



 夫婦関係は良好だとウッズは言っていたが、ジャンガースさんとの関係は続いた。ウッズはシカゴ(Chicago)近郊でのゴルフ・トーナメントに出場した際、ジャンガースさんを呼び寄せたり、妻と住むカリフォルニアの自宅に呼んだこともあるという。ジャンガースさんは「自宅へは10回は行った」と述べている。



 そのころにはジャンガースさんはウッズに強い気持ちを抱くようになっていたが、自宅に妻エリンさんと一緒に撮影した写真があるのを見て、心穏やかでなかった。「傷ついたわ。わたしが家のなかにいたって彼女が知ったら、彼女はどんな気分かしら、って考えた」



 ジャンガースさんは1年半でウッズとの関係に終止符を打った。「周りが思っているようなすごく家族思いの男ではないって、みんな、やっと分かり始めたんじゃない」
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2009年08月18日

ウサイン・ボルトが、9秒58の世界新記録で優勝エレーナ・イシンバエワがまさかの記録なし



第12回世界陸上ベルリン大会(12th IAAF World Championships in Athletics Berlin)男子100メートル決勝。ウサイン・ボルトUsain Bolt、ジャマイカ)が、9秒58の世界新記録で優勝した。



ウサイン・ボルト9秒58で世界新 ベルリン youtube


 ボルトは、自身の持つ世界記録9秒69を更新し、北京五輪に続き世界選手権でもタイトルを獲得した。



 ボルトと前回大会の覇者タイソン・ゲイ(Tyson Gay、米国)との今大会1種目対戦は、北京五輪の同種目決勝と同じような型破りな結果でボルトが制した。ボルトとゲイは今大会、3種目(100メートル、200メートル、4×100メートルリレー)で対戦する可能性がある。



 銀メダルは9秒71でゲイ、銅メダルは9秒84で元世界記録保持者のアサファ・パウエル(Asafa Powell、ジャマイカ)が獲得した。

ボルトが9秒58!男子100mで世界新



ボルト

新記録を示すボードを示すボルト=AP {ベルリン}陸上競技の第12回世界選手権第2日は16日、ベルリン五輪スタジアムで行われ、男子100メートル決勝は、ウサイン・ボルト(22)(ジャマイカ)が9秒58の驚異的な世界新記録で初優勝した。



 従来の記録は、ボルト自身がちょうど1年前の北京五輪マークした9秒69で、一気に0秒11短縮した。



 追い風0・9メートルの条件下、ボルトは序盤からトップに立ち、最後までスピードを緩めることなく圧勝した。前回大阪大会の王者タイソン・ゲイ(米)が世界歴代2位の9秒71で2位、前世界記録保持者のアサファ・パウエルジャマイカ)は9秒84で3位。5位までが9秒台のレベルの高いレースだった。



 ボルトは昨年の北京五輪で100メートル、200メートル、400メートルリレーの3種目すべてで金メダルを獲得。いずれも世界新で飾った。今大会も3種目に出場予定。



(2009年8月17日04時49分 読売新聞




エレーナ・イシンバエワロシア)がまさかの記録なし

イシン

陸上の第12回世界選手権第3日は17日、当地の五輪スタジアムで女子棒高跳びがあり、北京五輪金メダル世界記録保持者のエレーナ・イシンバエワロシア)が記録なしに終わる大波乱があった。優勝はアテネ五輪銅メダリストアンナ・ロゴフスカポーランド)で、4メートル75。


 イシンバエワは4メートル75から跳び始めた。この高さを1回失敗すると、2回目以降をパスして、4メートル80に挑んだが、これも2回失敗し、順位なしに終わった。イシンバエワは7月のロンドンスーパーグランプリでも、ロゴフスカに敗れていた。
asahi.com
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2009年07月07日

ロジャー・フェデラー(Roger Federer、スイス)は史上最多となる通算15度目、ウィンブルドンでは通算6度目となる優勝を果たした。



テニス、ウィンブルドン選手権(The Championships Wimbledon 2009)男子シングルス決勝。大会第2シードのロジャー・フェデラー(Roger Federer、スイス)は、大会第6シードのアンディ・ロディック(Andy Roddick、米国)と対戦。フェデラーは5-7、7-6、7-6、3-6、16-14でロディックを下し、グランドスラム(4大大会)ではピート・サンプラス(Pete Sampras、米国)氏を上回り史上最多となる通算15度目、ウィンブルドンでは通算6度目となる優勝を果たした。

 ロディックは第1セットを先取し、第2セットも4度のセットポイントを迎えるなど最終セットまでサービスゲームをキープし続けフェデラーに脅威を与えたが、好機を生かすことはできず無念の準優勝に終わった。

 最終セットはウィンブルドンの男子シングルス決勝史上最長となり、これまでに例のない結末となった。

 27歳のフェデラーは、ウィンブルドンで6勝、全米オープン(the US Open Tennis Championships)で5勝、全豪オープン(Australian Open tennis tournament )で3勝、全仏オープン(French Open)で1勝とグランドスラムでの通算勝利数を15に伸ばし、サンプラス氏の14勝を上回った。

 6日に発表される世界ランキングでフェデラーは、前回大会の決勝でフルセットの末に敗れたラファエル・ナダル(Rafael Nadal、スペイン)から1位の座を奪い返すことが確実となっている。(c)AFP/Dave James
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2009年06月28日

「ブロンドのドルフィン」ブリッタ・シュテフェン(Britta Steffen)泳ぐたびに世界新



北京五輪競泳女子自由形で2冠を果たしたドイツのブリッタ・シュテフェン(Britta Steffen)が、25日に行われたドイツ選手権(Deutsche Meisterschaften im Schwimmen 2009)の女子100メートル自由形で世界新記録となる52秒85を樹立した。

 前記録保持者は52秒88の記録を持つオーストラリアのリスベス・トリケット(Lisbeth Trickett)。

 北京五輪ではトリケットに勝利して100メートル自由形を制していたシュテフェンは、50メートル自由形でも米国のダラ・トーレス(Dara Torres)を0.01秒差で破り、2冠を達成している。(c)AFP
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ブリッタ・シュテフェン(Britta Steffen)世界新記録YouTubeより
Britta Steffen schwimmt Weltrekord 100m Freistil bei den Deutschen Meisterschaften 2009


★ブリッタ・シュテフェン(Britta Steffen、1983年11月16日 - )は、ドイツ・ブランデンブルク州シュウエート出身の女性競泳選手。身長180cm、体重60kg。短距離の自由形種目を得意とする。


経歴
2000年、前年のヨーロッパ選手権での実績が評価されてシドニーオリンピックのフリーリレーのメンバーに選ばれ、女子4×200mフリーリレーの銅メダル獲得に貢献する。2004年のアテネオリンピックでは女子4×100mフリーリレーの予選に出場するが決勝のメンバーには選ばれなかった。ベルリン工科専門大学でマネジメント工学を学んでいた彼女は、その後1年間競泳生活から離れ学業に専念する。

2006年8月2日、ブタペストで行われたヨーロッパ選手権の女子100m自由形で53秒30、4×100mフリーリレーで3分35秒22、4×200mフリーリレーで7分50秒82と3つの世界新記録をマークする。このうち100m自由形の記録は2008年3月のオーストラリア選手権でリスベス・トリケットに破られる(52秒88)まで記録を保持した。

2007年3月に行われた世界選手権では、女子短距離自由形種目の金メダルの有力候補とされた。100m自由形で銅メダル、4×200mフリーリレーで銀メダルを獲得したが、50m自由形では4位に終わった。

2008年に入り、4月に行われた代表選考会では50m自由形で24秒19のドイツ国内新記録、100m自由形で53秒20のヨーロッパ新記録で泳ぎ北京オリンピック代表に選ばれた。北京オリンピックではリスベス・トリケットやナタリー・コグリンら他国の強豪選手相手に、100m自由形で53秒12、50m自由形で24秒06のいずれも五輪新記録で金メダルを獲得した。

獲得メダル
女子 競泳
ドイツ
オリンピック
金 2008 女子 50m自由形
金 2008 女子 100m自由形
銅 2000 女子 4×200mフリーリレー
世界水泳選手権
銀 2007 女子 4×200mフリーリレー
銅 2007 女子 100m自由形
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一言 水中にも天子がいたのですね。羽根はないけど水かきはあるのです。

管理人はブリッタ・シュテフェン(Britta Steffen)のことを「金髪のイルカ」「ブロンドのドルフィン」「金髪の人魚」と呼びたいですね。
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2009年06月16日

マグダレナ・リバリコワ(Magdalena Rybarikova、スロバキア)は、大会第4シードの李娜(Na Liナ・リー、中国)を下し、ツアー初優勝を飾った



女子テニス、エイゴン・クラシック(AEGON Classic 2009)シングルス決勝。大会第13シードのマグダレナ・リバリコワ(Magdalena Rybarikova、スロバキア)は、大会第4シードの李娜(Na Liナ・リー、中国)と対戦。リバリコワは6-0、7-6で李娜を下し、ツアー初優勝を飾った。写真はトロフィーにキスするマグダレナ・リバリコワ
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女子テニスツアーのAEGONクラシック(イギリス/バーミンガム、賞金総額22万ドル、芝)は14日、シングルス決勝が行なわれ、第13シードのM・リバリコワ(スロバキア)が第4シードのN・リー(中国)を6-0, 7-6 (7-2)で下し、キャリア初となるツアー優勝を飾った。

20歳のリバリコワは、強力なサーブとトップスピンの効いたショットで第1セットを簡単に奪う。しかし、第2セットではタイブレーク突入前に、2本のセットポイントをリーに握られていたが、これを切り抜けると、1時間13分で初のタイトルを優勝賞金3万7000ドルを手に入れた。

今大会3回戦では第1シードの鄭潔(中国)を破り、初タイトル獲得となったリバリコワは「最高の気分です。私のキャリアでも間違いなく最高の瞬間でしょう。確かに緊張していましたが、第1セットは感じませんでした。」と喜びを語った。

一方のリーは前日の準決勝で、キャリア最高ともいえるパフォーマンスで元世界ランク1位のM・シャラポワ(ロシア)から初勝利を上げていたが、この日はミスが先行してしまった。そのことについてリーは「シャラポワに初めて勝てて、昨夜は本当に興奮していたの。今日の試合のことを忘れるくらいにね。」とジョークで対応していた
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★マグダレナ・リバリコワ


6月15日現在
WTAランキング 42位(1347.00p)

■国籍 スロバキア
■出身国/居住国 スロバキア/スロバキア
■生年月日 1988年10月4日
■性別 女
■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち)
■身長 180 cm
■体重 65 kg
■プロ転向日 2005年
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2009年05月19日

。サフィナは6-2、6-4でボズニアツキを下し、前週のイタリア国際2009(Internazionali BNL d'Italia 2009)に続いて2週連続優勝



ムチュア・マドリレーニャ・マドリード・オープン(Mutua Madrilena Masters Madrid Open 2009)女子シングルス決勝。大会第1シードのディナラ・サフィナ(Dinara Safina、ロシア)は、大会第9シードのカロリーネ・ボズニアツキ(Caroline Wozniacki、デンマーク)と対戦。サフィナは6-2、6-4でボズニアツキを下し、前週のイタリア国際2009(Internazionali BNL d'Italia 2009)に続いて2週連続優勝を果たした。写真は試合後に花束を持つサフィナ
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韓国の呉佑英(Ji-Young Oh、オー・ジヨン)が、通算14アンダーでサイベース・クラシック2009優勝を飾った。11位タイ:上田桃子



女子ゴルフ米国ツアー第9戦、サイベース・クラシック2009(Sybase Classic 2009)最終日。通算12アンダーの首位タイからスタートした韓国の呉佑英(Ji-Young Oh、オー・ジヨン)が、4バーディー、2ボギーでスコアを2ストローク伸ばし、通算14アンダーで優勝を飾った。

■最終結果

1位:呉佑英(韓国) - 14アンダー
2位:スーザン・ペターセン(Suzann Pettersen、ノルウェー) - 10アンダー
3位タイ:ミッシェル・ウィ(Michelle Wie、米国) - 8アンダー
3位タイ:ポーラ・クリーマー(Paula Creamer、米国)
5位:金寅敬(In-Kyung Kimキム・インキュン、韓国) - 7アンダー
11位タイ:上田桃子(Momoko Ueda、日本) - 4アンダー
18位:宮里藍(Ai Miyazato、日本) - 2アンダー
61位タイ:宮里美香(Mika Miyazato、日本) - 7オーバー
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2009年05月10日

入江陵介は、北京五輪の200m背泳ぎで金メダルを獲得したライアン・ロクテ(Ryan Lochte、米国)が樹立した世界記録(1分53秒94)を1秒08更新して、日豪対抗で優勝



第1回日本・オーストラリア対抗(2009 Duel in the Pool Australia v Japan)男子200メートル背泳ぎ。日本の入江陵介(Ryosuke Irie)が1分52秒86を記録し、世界新記録を樹立した。

 入江は、北京五輪の同種目で金メダルを獲得したライアン・ロクテ(Ryan Lochte、米国)が樹立した世界記録(1分53秒94)を1秒08更新した。(c)AFP

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男子200m背泳ぎ、入江陵介が世界新記録
競泳の日豪対抗、男子200メートル背泳ぎで世界新記録をマークした入江陵介=AP 

競泳の日豪対抗最終日は10日、キャンベラのオーストラリア・スポーツ院(AIS)で行われ、男子二百メートル背泳ぎで昨年の北京五輪5位の入江陵介(19)=近大=が1分52秒86の世界新記録をマークして1位となった。

 従来の記録は北京五輪で優勝したライアン・ロクテ(米国)が出した1分53秒94。

 日本選手による世界記録樹立は、北京五輪男子百メートル平泳ぎ決勝での北島康介(日本コカ・コーラ)以来。(共同)

( 読売新聞)
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競泳の日豪対抗が10日、オーストラリアのキャンベラで行われ、男子200メートル背泳ぎで入江陵介(19)=近大=が1分52秒86の世界新記録をマークして1位となった。昨夏の北京五輪決勝で、優勝のライアン・ロクテ(米)が樹立した1分53秒94を1秒08も上回った。

 時事AFP電によると、9日の100メートル背泳ぎでも世界記録に0秒02と迫る52秒56の日本新をマークした入江は好調を維持。「こんなに速く泳げるとは思わなかった。信じられない、のひとこと」と喜びながらも、「世界選手権(7月、ローマ)でもう一度(世界記録を)更新したい」と自信を見せたという。

 入江は大阪・近大付高2年の06年ドーハ・アジア大会の男子200メートル背泳ぎで優勝。昨年夏の北京五輪は5位だった。北島康介(日本コカ・コーラ)が今季の主要大会を欠場する中、日本競泳陣の新エースとして期待されていた。
Asafi.com
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★入江 陵介(いりえ りょうすけ、1990年1月24日 - )は日本の男性競泳の選手である。大阪府大阪市天王寺区出身。大阪市立大江幼稚園、大阪市立天王寺小学校、大阪市立天王寺中学校、近畿大学附属高等学校を経て、近畿大学法学部2年。イトマンスイミングスクール所属。
身長: 177 cm
体重: 62 kg

人物
ペットボトルをおでこに乗せ、背泳ぎを出来ることから、テレビ朝日の中継ではバランス王子と呼ばれている。また、ピアノも得意である。

来歴
1990年 0歳のベビースイミングから水泳を始める。中学に入ってから本格的に背泳ぎに転向した。

2005年3月4日 100mと200mの背泳ぎ2種目で中学記録(当時)を樹立。タイムはそれぞれ、57秒56と2分02秒74。

2005年 高校1年で高校総体の200メートルで優勝した。
2006年4月 日本選手権で、200m背泳ぎ1分59秒32の高校新記録(当時)を樹立。
2006年8月 カナダのビクトリアで行われたパンパシ水泳で、200m背泳ぎを1分59秒33の4位で泳いだが、翌年の世界水泳の派遣標準記録まで0秒16届かず、出場を逃した。
2006年12月 ドーハで行われたアジア大会で、男子200メートル背泳ぎで1分58秒85の高校新記録(当時)で優勝。
2007年1月28日 兵庫県で開催された「KONAMI OPEN 2007」で、男子200m背泳ぎで1分58秒55の高校新記録(当時)を樹立。
2007年4月 日本選手権で、200メートル背泳ぎ1分58秒42の高校新記録(当時)で初優勝。
2007年8月 千葉県で開催された世界競泳2007で初の世界大会出場。22日 男子100メートル背泳ぎで54秒74の高校新記録(当時)を樹立。そして大会3日目の23日、男子200メートル背泳ぎで1分57秒30の高校新記録で優勝。
2007年11月24日 イトマン招待で、男子100m背泳ぎを54秒60で泳ぎ高校新記録を樹立。
2008年1月27日 兵庫県で開催された、「KONAMI OPEN 2008」で、男子200メートル背泳ぎで1分56秒53のアジア・日本新記録(当時)を樹立。
2008年4月19日 日本選手権水泳競技大会男子200m背泳ぎで1分57秒33をマーク、派遣標準記録を突破した為、北京オリンピック出場が内定した。
2008年6月7日 ジャパンオープン男子200m背泳ぎで1分54秒77のアジア・日本新記録(当時)をマーク。
2008年8月15日 北京オリンピック男子200m背泳ぎで1分55秒72で5位。
2008年11月 短水路w杯200m背泳ぎで3連勝し、1分52秒61、1分51秒71、1分51秒34と、全てのレースで日本記録を更新した[1]。
2009年1月25日 兵庫県で開催された、「KONAMI OPEN 2009」で、男子200メートル背泳ぎで1分54秒74のアジア・日本新記録(当時)をマーク。
2009年2月21日 ジャパンオープン男子200m背泳ぎで1分49秒92の短水路日本新記録をマーク。
2009年4月、日本選手権50m・100m背泳ぎで24秒96、53秒19と苦手な短距離で宮下の持っていた日本記録をともに破ったが、同じレースを泳いだ古賀に上を行かれ、いずれも2位に終わった。得意の200m背泳ぎでは1分54秒02と自身の持つ日本記録を更新し、この種目3連覇、ロクテの持つ世界記録まであと0.08秒と迫った[2]。
2009年5月、競泳の日豪対抗で、9日には100mでアーロン・ピアソルの持つ世界記録まであと0.02秒まで迫る52秒56の日本記録を樹立、10日には以前の記録を1秒以上更新する1分52秒86の世界新記録を樹立した[3]。

自己ベスト
泳法 距離 水路 記録 樹立日 大会名 備考
背泳ぎ 50m 長水路 24秒96 2009年4月18日 第85回日本選手権水泳競技大会 日本歴代2位
背泳ぎ 100m 長水路 52秒56 2009年5月9日 第1回日豪対抗競泳 日本記録
背泳ぎ 200m 長水路 1分52秒86 2009年5月10日 第1回日豪対抗競泳 世界記録
背泳ぎ 100m 短水路 51秒31 2009年2月22日 第50回日本短水路選手権水泳競技大会
背泳ぎ 200m 短水路 1分49秒92 2009年2月21日 第50回日本短水路選手権水泳競技大会 日本記録
posted by grandboy at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪大会女子400メートルリレーで日本A(北風、福島、渡辺、高橋)が43秒58の日本新記録を樹立

女子400メートルリレーで日本新が生まれた。昨年の北京五輪プレ大会で出た日本記録を0秒09更新。従来記録の際も走った20歳コンビ、福島と高橋が勢いを与えた。
日本新.jpg
 第2走者の福島は、3日の静岡国際では200メートルで日本新をマークするなど乗っている。「ほっとした。新メンバーでこの記録が出せたのがよかった」と喜んだ。ライバルの高橋はアンカー。新メンバーの渡辺からバトンを受け取ると、安定した速さで逃げ切り「自分の走りをすることを心掛けた」と満足そうだった。
 バトンの受け渡しは前日に練習しただけで、まだ発展途上。高橋は「コーチにはあと0.5秒と言われているけど、1.5秒くらい短縮できると思う」と確かな手応えと自信を口にした。

9日、大阪市の長居陸上競技場で行われた陸上の国際グランプリ(GP)大阪大会女子400メートルリレーで日本A(北風、福島、渡辺、高橋)が43秒58の日本新記録を樹立した。従来の記録は昨年5月に行われた北京五輪のプレ大会、中国オープンで日本(石田、信岡、福島、高橋)が記録した43秒67。 
時事ドットコム
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日本新1.jpg
世界選手権(8月、ベルリン)代表選考会を兼ねて大阪・長居陸上競技場で男女22種目があり、女子400メートルリレーで日本が従来の日本記録を0秒09更新する43秒58をマークした。男子100メートルでは、世界選手権参加標準記録A(標準A、10秒21)を突破している塚原直貴(富士通)が日本歴代5位に並ぶ10秒13で初優勝。

 男子400メートルでは北京五輪銀メダルのジェレミー・ウォリナー(米)が44秒69で2年ぶりに勝ち、標準A(45秒55)を切っている金丸祐三(法大)は日本歴代4位の45秒16で2位だった。同200メートルでは高平慎士(富士通)が20秒31の自己最高で2位。同棒高跳びは沢野大地(千葉陸協)が2年ぶりに制した。Asahi.com
posted by grandboy at 10:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 陸上 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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